諸星未来堂 ープ

何だかとっても寒い一月第二週

Japanese-Language Contents


MOROBOSHI Tomorou's Warp Diary 1999 January 2nd Week
【初めてきた人は】 【リンク・引用について】 【過去のワープ日記の検索方法】
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990117a[ daily life / 日常生活(日) ]

福岡、晴れ。


【義務教育とは、つづき】

Kenji日記990117に曰く、

ワープ日記 に義務教育について書かれている.
「子供に義務教育を受けさせないと罰則がある」とい うことらしいので、実質的に(というか、字面の解釈の上からだけで) 「子供には教育を受け る義務があって、教育を受けない権利はない」ということになるのだった。 義務教育に関して 子供の権利は絵に描いた餅なのね。
とのことですが,これはならないですね. 罰則自体は, 学校教育法 の第90条,第91条あたりにあるようですが, これは保護者や使用者に罰則があるというだけで,子供にはなにもありません.
とのこと。

えーと、そもそものオレの書き方が足らなかった(あるいは不正確だった)のかもですが、オレがあげた条件の下では、「自分の子供に義務教育を受けさせないと親に罰則が下るという状況で、その子供に義務教育を受けるか受けないかの選択の余地があるか?」と言える、ということです。あるいは子供に対して「アナタは義務教育を受けなくちゃいけない義務なんて無いのよ。ただ受けないと、アナタの親に罰則が下るんだけどね」と言うことになるわけですが、そこに選択の余地があるのか? と。これでは、親を人質にして子供を脅迫していることになりゃしませんかね? そうとなれば、字面の上で直接「子供に教育を受ける義務がある」と書いて無くても、間接的には「子供には教育を受ける義務がある」と言っていることになると思います。

別の言い方をすれば「教育を受ける義務のない子供に教育を受けさせる義務を親に科して、違反すると罰則」という状況が間違っている、ということになりますか。というか、ここが矛盾してるから話がおかしくなるわけなんですが。

って、これじゃ昨日書いたのの繰り返しで、新しい説明になってないじゃないか>オレ。

まぁ、仮に、本当に現在の法律体系がオレの言う「親を人質にして子供を脅迫しているかのごとき構造」をとっていたとしても、「親は親で子は子なんだから、親が罰せられたところでノープロブレム」という人生観を身につければ、これはこれで説得力ある気もしますね。

まぁ、学校教育法の九〇条、九一条の罰則だけなら、千円だの三千円だので、現在の金銭価値なら、なんてことない、という気もしますが。(いや、他の政令その他で上乗せされてるのかもだけど)。

第九〇条 第十六条の規定に違反した者は、これを三千円以下の罰金に処する。
第一六条 子女を使用する者は、その使用によつて、子女が、義務教育を受けることを妨げてはならない
第九一条 第二十二条第一項又は第三十九条第一項の規定による義務履行の督促を受け、なお履行しない者は、これを一千円以下の罰金に処する。
第二二条1 保護者(子女に対して親権を行う者、親権を行う者のないときは、後見人をいう。以下同じ。)、子女の満六才に達した日の翌日以後における最初の学年の初から、満十二才に達した日の属する学年の終りまで、これを小学校又は盲学校、聾学校若しくは養護学校の小学部に就学させる義務を負う。ただし、子女が、満十二才に達した日の属する学年の終りまでに小学校又は盲学校、聾学校若しくは養護学校の小学部の課程を修了しないときは、満十五才に達した日の属する学年の終り(それまでの間において当該課程を修了したときは、その修了した日の属する学年の終り)までとする。

第三九条1 保護者は、子女が小学校又は盲学校、聾学校若しくは養護学校の小学部の課程を修了した日の翌日以後における最初の学年の初から、満十五才に達した日の属する学年の終りまで、これを、中学校又は盲学校、聾学校若しくは養護学校の中学部に就学させる義務を負う
(90,91からさかのぼって読んだだけだから、他の所は未読)

また「もともと「義務教育」というのは親が子供に教育を受けさせず 使役していまうのを防ぐためなんじゃないのかな.」とのことですが、これはそうでしょうね。昨日「つべこべ言わずにガキは学校行け」と言ってられない時代になった」と書きましたが、現在の“「つべこべ言わずにガキは学校に行け」と言える時代”の前には“「お前は学校なんかいかなくていいから働け」と言われる時代”があったということで。


【子どもの権利条約】

日本ユニセフ協会のページに「子どもの権利条約」の概要を発見。日本は1994年に「子どもの権利条約」を批准していたのか。なんか、批准を躊躇していたような気がするけど、原因はなんだっけなぁ?

それはともかく、第28条「教育を受ける権利」はあっても、押しつけられた教育に嫌気がさしたときに逃げ出す権利があるのかどうかは不明だのぉ。また、第18条「子どもの養育はまず親に責任」を見れば、「気にくわない親から自由になる権利」とかも、考えられてないみたいだなぁ。まぁ、第19条「虐待・放任からの保護」で、親の虐待からは逃げられるようだが。

子供自身に「自分にとってどのような教育がふさわしいか」を判断する能力があるかどうかは議論のわかれるところで、現在の日本の法律は、「子供にとってどのような教育がふさわしいか」を判断する能力は、子供自身にも、その親にもない、と考えて作られているということだろう。判断するのは国、ということで。

まー、子供の権利、も無制限に認めていたら社会が混乱するのは当たり前だから(だって文字通り、相手は「おこちゃま」なんだから)、なんでもかんでも「子供の権利を拡大する方向が正しい」ってのは間違いだとは思うんだけどね。自由にキレる権利、とか、ナイフで刺す権利とかは認めたくないし。しかしまぁ、今まであまり「子供の権利、子供の判断能力」を重視してこなかったって事情を考えれば(本当にそうなのかは謎だが)、子供がらみの時に「子供の権利、子供の判断能力」ってもんを考えねばならないんでしょうね。って、なんか無難な一般論になったが。少なくとも「子供の権利条約」を持ち出す人を見たら1ミリ秒で思考停止して、「この日教組め!」とか叫ぶのは止めようね。(そんな人いるのか?)

「教育を受ける権利」の反対語は「教育を受けない権利」というよりむしろ「教育を受けない自由」なのかな? 「教育」も「特定の教育」として、「特定の教育を受けない自由」と制限しないと、あまり意味がないか。

だんだん、単なる言葉遊びになってきた気もするが。って、そもそもオレにとっては最初から「言葉遊び」だったのは確かだが。要は「単なる」の有無をどの程度評価するか、にかかっているのだが。

追記。「単なる言葉遊び」と「言葉遊び」は違う、と言いたかったということで。


なるほど。結局、これとのトレードオフってことですよね。どちらの発想を採用するとどれぐらいトラブルが起こるか、っていう定量的な話になるのかな。(何の話なのかは、リンク先参照のこと)

って、この書き方ではリンク先を参照しても何の話かわからない気がするので、追記すると「あまり引用してしまうと 読者が原点を参照しないで理解したつもりになってしまう危険性」(はち日記990116から諸星が類推)と「最低限度の内容を引用・要約しておかないと文書の自己完結性が低下して,何の話をしているかわからなくなる危険性」(ワープ日記990114)のトレードオフ、のつもりで書いた。


【教育を受けさせる義務とは努力義務か?】

「教育を受けさせる義務」というのは、ひょっとすると「努力義務」なのかもしれない。「子供が義務教育を受けられるように最大限の努力をする義務がある」というだけのことで、状況を整えてもなお、子供が義務教育を受けなかった時に罰則を食らうわけではないのかも。

そうだとすれば、「親には子供に教育を受けさせる義務があるが、子供には無理矢理義務教育を受けなくてはならない義務はない」という状況が発生するな。

「お父さん、お母さんの努力を無駄にするつもりか?」という形でまだ「脅迫」が可能かもしれないという点が気になるが、このあたりまでくると法律が矛盾している、というレベルじゃないからいいとしよう。


990116a[ daily life / 日常生活(土) ]

福岡、曇り。空は明るいんだけどね。


そういえば、世間はセンター試験か。若人よ、がんばれよ。まぁ、受験生だから若人だとは限らないのだが。生涯学習ぢうやう。

いまごろ、日本中の至るところで、やれ「受験票忘れた」だの「鉛筆が全部折れた」だの「たくさんの人に囲まれてると下痢がとまらない」だの「ママが手を握ってくれなきゃやだい」だのいろいろな問題が発生してるんだろうなぁ。受験生も大変だが監督者も大変だ。

ま、オレ的には今の日本の仕組みなら、受験生が受験時にどんなわがまま吠えても、大人はきいてあげなくちゃだわ、って気がするんだけどね。いや、それが正しい姿だとは全然思わないけど「受験生はわがままだ」とかいう前に、受験生がなりふり構わず受験しなくちゃいけないシステムを構築して維持している自分らの手をじっと見れとか。

それはともかく「受験生のわがまま」のひとつとして「気分が悪くなった受験生は別室(保健室)で受験することができる」というのは、受験生に認められた「権利」だと思っていたのだが、どうもそうでは無いらしい。受験生が「別室(保健室)で受験したい」と主張した場合に、試験会場側に別室を用意する努力義務があるだけで、結果として別室を用意することが不可能だったら、受験生が別室受験できなくても、しかたない、とのこと。へー、オレは「受験生の別室受験の権利」ぐらい認めてやって、試験会場には受験生の1%だか0.5%だかの人数を隔離できる場所を確保する義務を押しつけてもバチあたらないと思うんだけどね。

まぁ「大人数の試験会場で試験を受けるという緊張感も試験のうちだ」とか「試験会場の緊張感に耐えられないようなヤツは受験資格無し」とかいう意見が聞こえてきそうで、それはそれでかなり説得力あるんだけど、形式上「学力試験」だと言ってるわけだから、それはとりあえず棚上げでしょうな。本当にそれが重要だと思うなら受験要項に「集団試験を受けることができる健全な精神と肉体を持つこと」とか明記してもらわないと。って明記してあるのかも。ぐえ。


「義務教育は誰の義務?」

朝日新聞990116朝刊の、たしか27面あたりの記事で(手元にないから記憶で書くと)「世界人権宣言翻訳コンクール優秀作品の訳文が修正される」とかいう記事があった。

世界人権宣言の訳文の、義務教育の部分に「子供には教育を受ける義務がある」というような表現があって、不登校児の親の会だかが抗議して、訳者である詩人が受け入れて、訳が改訂されるとか。

うーむ、「義務教育」の「義務」が「子供に教育を受けさせる親の義務」であって、「教育を受けねばならない子供の義務」ではないってのは、なんというか人権ネタを語るにあたっては最低限の常識なんじゃないかと思うのだが。日本国憲法の条文が手元にないから、ちょっとあやしいあたりから引用すると、

義務教育
ぎむきょういく
国民の義務として子どもに受けさせる普通教育。子どもの保護者は就学義務を負い,義務教育は無償とされる(日本国憲法26条)。(以下略)
(マイペディア97)
ということで。

まぁ、日本国憲法に言う「義務教育」の定義がこうであっても、世界人権宣言だかの定義はまた別、ということは考えられるんだけどね。まぁ、ここでは同じだと考えて話を進めているんだけど。

とにかく、そもそも人権ネタを翻訳するときに、こういう根底に関わるような間違いをしてしまうことがまず問題じゃないかなぁ。で、それはまぁ「人には間違いがあるものだ」(それに訳したのは詩人で、法律家じゃないんだろうし)という観点から許すとしても、それに優秀賞だかを与えてしまった方に問題があるんじゃないかなぁ。人権宣言の訳文で子供の人権を蹂躙することを許したらいかんでしょう。誰だよ選んだヤツは。選んでもいいけど、世に出す前にツッコミ入れて訂正させれ。

そういうわけで、新聞の記事をざっと読んだ結論は「そのまま優秀賞に選んだヤツが悪い」ということで。

ということなんだけど

ということを考えると「親に子供に受けさせる義務があるのなら、いくら子供に教育を受ける義務がないといっても、実際には義務があるのでは?」という疑惑が。で、ちゃんとした条文は調べてないけど、聞くところによると「子供に義務教育を受けさせないと罰則がある」ということらしいので、実質的に(というか、字面の解釈の上からだけで)「子供には教育を受ける義務があって、教育を受けない権利はない」ということになるのだった。義務教育に関して子供の権利は絵に描いた餅なのね。(990117追記:この部分の補足が別項にあり)

まぁ、このあたりが「子供の権利宣言」を批准するのしないの、とかいう話(だっけ?)につながるんだろうねぇ。「教育を受ける権利を主張する子供の親には、子供に教育を受けさせる義務がある」という話にすれば、一番すっきりするんだけどね。

まぁ、義務教育を受けない権利を主張する子供が大量に発生して、問題が発生するかもな気がするけど、それはまた別の話なんでしょうな。少なくとも「義務教育とは、子供には教育を受ける義務がある、という意味だ!」と主張していいということにはならんでしょう。「つべこべ言わずにガキは学校行け」と言ってられない時代になった、ということで。


「ピカチュウ、えろえろでちゅー」(やめれ>おれ)

オレが耳にしたことは「ピカチュウネタのエロパロ同人誌で逮捕者」ってことだけで、詳細わからないまま言うので、そのつもりで(調べて書け>オレ)

「エロパロ同人誌」の「エロ」の部分に関しては、「エロ同人誌はエロだから取り締まろう。取り締まってもいいのだ」という発想はダメだ。オレもありとあらゆる猥褻表現がまったく無制限に流通する世界をよしとするわけではないのだが、話は「表現の自由」の問題なのだから、許せる範囲をぎりぎりまで広く保つべきだと思う。だから、許せる範囲をある程度狭めて世界をかなり非猥褻な状態に保とうという方向性があるとしたら、それには反対。

「エロパロ同人誌」の「パロ」の部分に関しては、著作権者が著作権(財産権)に基づいて「ウチのキャラクターにあんなことやそんなことをさせてもらっては商品価値が下がるからやめれ」と言ったり、もっと基本の段階で「ウチのキャラクターはウチの商品なんですから、ウチ以外の誰も、それ使って商売してもらったら困るんですわ」と言ったりすることは認められている。また、著作者が著作者人格権に基づいて「私は自分の著作物がそのような意図に用いられるのはイヤですから、やめてくだされ」と言うことも認められている。

よって、著作権者、著作者が、それぞれ著作権(財産権)、著作者人格権に基づいて、パロディ作品に対して「不許可である」と宣言することは、原理的には問題はない。

で、著作権者、著作者は、積極的に著作権を使ってパロディに不許可を出すべきなのか? という問題は、いろいろややこしい話になって結論は出ないと思うが、オレ個人としては「なるだけパロディを認める方向に進む方がよい」と思う。表現の自由度が増して文化的に豊かになって、最終的には人類全体にとって益が出るから。

で、今回の任天堂だかの著作権者の態度がどうか、というと、オレは今回の話の詳細をよく知らないから、よくわからん。よくわからん状態でも、とりあえず「エロパロ同人誌で逮捕」と聞いて思いつく一般論を書いた。


990115a[ daily life / 日常生活 ]

福岡、曇り。


成人の日か。来年から休日変動相場制(ちがうって)が導入されるので1/15の成人の日とも、しばらくお別れである。次の1/15の成人の日は……面倒なので、計算が得意な人、よろしく。

噂によると、福岡市は福岡国際センターの前には大量の晴着軍団がやってくるのに、誰も会場に入らずに、入っても私語ばかりで市長だかの話を聞かないので「もぉ成人式なんてしてやんない!」とか言っているらしい(確認してない)んだけど、なんというか、成人式というのは晴着を見せびらかす同窓会用の集結ポイントとして「のみ」意味があるんであって、晴着を見せびらかしにわざわざ集まった人々に、自分の説教を聞かせようと思っている市長だか何だかがよっぽと思い違いをしていると思うのだが。

というわけで、福岡市だかは、説教を聞いてもらえなくても何らかの形で晴着軍団に集結ポイントを提供すべきだとは思うんだけどね。何のためにか、といえば、単に市民サービスとして。晴着を見せびらかしたい人々がどっかに集結したがっているなら、場所提供するのも市のつとめでしょー。そのために、オレが福岡市に納めた税金が多少使われても別に腹は立たな……立つかも(をい)。


しまった「ボイスラッガー」ってすでに放映されたのか。って福岡であってるのか?(「あってる」は方言)

この調子だと、オレは「燃えろ! ロボコン」を見損なう可能性があるなぁ。って、「燃えろ!ロボコン」って福岡であるのか?

どうでもいいが、「燃えろ!!ロボコン」の情報を得ようとgooで検索する人、「燃えろロボコン」という文字列だとワープ日記しかヒットしないから、「燃えろ」と「ロボコン」のand検索にしろー! ところで、本当の表記はなんなんだー?


宮部みゆき、直木賞受賞。

って、宮部みゆき、直木賞作家じゃなかったのか。てっきり、直木賞作家だと思っていた。って、作家が何賞取ってるのか取ってないのかとかあまり考えてないんだけども。村上龍とかが何の対談だかで「こうみえてもボク、芥川賞作家なんですけど」とか言ってるのを読んで、「あ、そうか」と思ったりする時ぐらいかなぁ、何賞作家とかいうことを考えるのは。あるいは司会業とかばかりしてそうな「作家」の人が何者なのかという時に「実は直木賞作家」と言われて納得する、とか。(お前が本を読んでないだけだろう>オレ)。

しかし、これで本屋は「直木賞受賞記念・宮部みゆきフェア」とかぶちかましてくるんだろうなぁ。って、直木賞フェアとかしなくても、今の本屋っていたるところに宮部みゆきが平積まれていて、「勝手に宮部みゆきフェア」実施中な感じで、これ以上、どこに平積みすりゃいいんだ、とか思うのだが。って、多分、さらにぎょっとするぐらいたくさん平積まれるんだろうなぁ。

と、言うだけ言って、実は宮部みゆき、一冊も読んだことがない。をい>オレ。


昨日の「引用しないでワープ日記にリンクしてもいい理由」(ワープ日記990114a)関係のお話。

はち日記9901115に曰く、

文章引用を要求される と、GORRYさんが仰しゃっているのは 、「タグ 1つに対する文章が長いから」であって、 「諸星さんが要求している」 という主張ではない……、と思ってたんだけど、どうなんだろ。
とのこと。あ、なーるほど。オレの誤読だったくさいな。がーん。

確かに、そう読んだ方が自然だなぁ。「ちっともHyperでない」の条件列記の中に入っている理由がいまひとつピンと来なかったんだけど「アンカー1つに対する文章が長いから、ある文章を指定するためには、引用が要求される」ということか。(ピンとこなかったのは、文章の構造がHyperTextになってない、っていう話の中に、作者の運営方針の話が混じっているように思えたから。ならその時点で気付よ>オレ)。

本当の所はGORRYさんの意見聞かないとわからないけど、多分、はちさんの意見で正しいんでしょうねぇ。とりあえず追記しておこう。(990118追記:GORRY日記990118によると、本当にはちさんの意見で正しかった模様)。まぁ、「諸星が要求している、とGORRYさんが主張している、かもしれない」とオレが思ってしまったのは、「また文書引用はリンクよりもはるかに誤解を生みやすく、それはflameの原因となる。」っていうあたりとの合わせ技による勇み足ってことで、ご了承くだされ。それに「諸星はワープ日記批判の際に、引用を必須としている」と誤解する人はいそうだし「諸星はワープ日記批判の際に、引用を勧めている」のは事実なので、昨日のお話の大筋は間違いじゃないな。って言い訳。けど、わざわざ長文書いたのはかなり無駄というかなんというかだったかな。わはは。


さらに、はち日記990115のHyperDiary性の話。

リンク先を読まないと何の話かわからない のは、HyperDiaryだからこそ、という気もするなあ。 リンク先を読まなくていいテキストに真のHyperDiary性はあるのか ? というそこはかとない疑問が。
とのことだけど、その通りでしょう。「リンク先を読まないと何の話かわからないぐらい相互に融合していてこそのHyperDiary」って考え方があって、「HyperText」の考え方から言えば、それこそ真に「HyperDiary」でしょうね。

で、私は現在は、そういう形のHyperDiary性の追及を止めて、文書の自己完結性の方に重点をおいています。というのも、リンク先と融合するような相互言及、相互補完関係を構築するには、リンク先が常に存在することや、リンク先が善意を持っていることを前提にする必要があり、現在の個人のWebの世界にそれを求めるのは難しいと私は思いますから。

もちろん、被リンクされた文書がネット上に存在し続けるように努力したり、善意を持ってネット上で発言しようと努力することは必要でしょうが、「リンク先を読まないと何の話かわからないHyperDiary性の追及」の結果、リンクされる方にリンク保持や善意の関係の維持の責任がかぶさるよりも、引用する側が自衛すべき、責任をかぶるべきだと思うわけです。

まー、HyperTextでGut&Pasteな世界で「自己完結性」とか言い出すってことは、いまさら「オレの文章はオレのものだ」とか「オレの意見はオレの意見だ」とかいうことを主張してるわけなんですが、とりあえずある程度の自己完結性のある文書(と文章)を作るという方針でないと、私は自分の文章に責任とれない気がするので、そういう方針でいくわけです。はい。

そういうわけで、私が自覚的にHyperDiary性を追及しないようにしている、というお話でした。


昨日の「文章直リンク表現言及」という記事で「文章に直接リンクはって表現をうんぬんすると、それはフレイム誘発性では?」と書いたところ、

はち日記990115に曰く、

フレイム誘発性 、まあこれはあるんじゃないかと思うんだけど、 でも、それはそういう可能性がある、というだけのことじゃないでしょうか。
とのこと。

そうですね。「可能性があるというだけのこと」にすぎませんが、それはGORRYさんが言った(そして多くの人が思っている)「文書引用はリンクよりもはるかに誤解を生みやすく、それはflameの原因となる。」ってのが、可能性にすぎないのと同じことだと私は思います。可能性がある、という点においては。「直リンク表現言及がすなわちフレイム誘発性だ」とは言いませんが、フレイム誘発性にもなりうるのではないか? と書いたわけです。

そして、「直リンク表現言及がフレイム誘発の可能性がない、あるいは引用よりも極めてフレイム誘発性が低い」ことが事実で、かつその原理・原因がわかれば、その原理を応用して「フレイム誘発性が低い引用」が可能になるのではないか、あるいは「引用はフレイム誘発性だが、直リンクはそうではないことの証明」ができるのではないか、と。

そういう解答が得られることをして、「光明が見える気がする」と書いたわけです。

つまり、はちさんの発想が、「表現に言及するのに、あえて引用せずに、直接リンクして言及したい」という発想だとすれば、引用を回避するのはなぜなのか? と聞きたい、ということにもなりますか。はちさんが、何かこの件に関する解答とかヒントとかを持ってないかな、と思って質問してみたわけです。


しかし、なんか説明しだすと文体も内容も、どんどん大仰になっていくなぁ。オレって「語りやさん体質」なのねぇ。しみじみ。(「語りやさん体質」とは、深夜のファミレスなどで人生を語ってしまう「語り」に入りやすい体質を表す、今2秒で作ったオレ造語)。


【頭が軽くなりました】

「前から言おうと思っていたのだが、ワープ日記は本文前のヘッダ部分が重すぎてLynx的に優しくない」と言われてしまったので「何だとぉ!?」と思ってLynxで見てみたら、全部で73ページもあるのはご愛敬としても、本文が7ページから始まっていたので、ビックリたまげてしまったのだった。ぐあ。

前から必要ないと思いながらも放置していたやつとかいろいろあるのだが、アレもこれもと考えるとやっぱり削れないというか譲れない思いというか。本当はリンクやらインデックスページやらに分散させるべきだろうが、とりあえず致命的じゃないやつは全部ファイルの下の方に追放!

おぉ、ちょっとスッキリしたかも。とりあえずLynx的に2ページから本文が始まるようになったので、まぁこれでしばらく勘弁してくれると吉って感じ。

そういうわけでオレの内部で改訂機運が高まっているというか弱気になっているらしい今日このごろなので、普段からワープ日記の書式やらに対して言ってやりたいことがあった人は、このチャンスにポソっと言ってみるのも吉。まぁ、言われても納得しないと動かないのはご存知の通りなんだけどね。

しかし、ちょっと油断していたら、一週間で80kbぐらいあるのか。まぁ、30kb以上のファイルは開けませんとかいう時代でもない気もするが、ちょっとネットに優しくない分量だなぁ。はてさて、どうしたものか。


【電子本買いました・読みました・書いてくだされ】

大森伝言板で話題になっているのもあって、突如、第一回インターネット文芸新人賞のページから二つばかり購入してみたのだった。いや、普段は持ち歩いてないクレジットカードをたまたま携帯していたのが運の尽きってやつ? 一度、電子財布でお買い物ってものもしてみたかったし。

しかし、電子ショッピングモールに登録して電子財布をインストールして電子クーポン買って目的のブツをダウンロードして読める状態にするまでは1時間にわたる、かなり苦痛を感じる作業であった。うっぎゅー。大森伝言板に思わず投稿したのを再録すると、

772//ComKetから電子本買うのがこんなに面倒だとは (1999/01/1501:53:52)
http://www.hf.rim.or.jp/~morrow/ MAIL::諸星友郎

思うところあって、インターネット文芸新人賞のところから某作品のエキスパンドブック版を買ってみました。

ComKetの仮登録から本登録、クーポン買って目的の本をダウンロ し終わるまでに、だいたい45分ほどでした。
3度ぐらい「ぜったいに、買わない、もぉ、やめてやる」と思いました(^_^;;
(気が短いのか!?>オレ)
さらに、ExpandedBookのビウアをセッティングするのに15分ぐらいかかってしまったので、1時間仕事でしょうか。
かなり面倒くさかった、ってのが正直な感想でしょうか。どうすればいいのかさっぱりわかりませんが「なんとかせれ!」と叫びたい気持ちでいっぱいです(^_^;;

あとは、せめて500円、希望を言えば、350円ぐらいにしてもらいたかったかもと思います。
「ふと、思い立って買ってみるか」と思える金額という意味で。「内容に対しての値ごろ感」とかは、まだ読んでないのでなんとも。

んで、読み始めようかと思ったんですが、エキスパンドブックで なんか目が痛いんで、また明日にしようかな、とか。
ということで、鳥居さんやチェロキーさんがいるところでこういうことを言うのもなんですが、 を突破して、 買うってのは、よほどの物好きか、あるいは「どうしても」という必要にせまられた人でしょうねぇ。
とか。読み返して思うに、オレって無礼者クン?

まぁ、こんなに脅すと「じゃ、やめとこうかなー?」と思ってしまう人がいるかもなので、フォローしておくと「終わってみれば、辛い出来事も、みないい思い出さ。ふっ」って感じかな? 君もダマされたと思ってトライしてみないか!? いや、ダマしてるんだけど。

というか、ほら、君も電子ブックの未来に投資してみないか? って感じかな? 君の投げた小石が電子ブックの世界に小さな波紋を起こしてそれがいずれ出版界を揺るがす大きな波になるんだよ。うん。そういうことにしよう。いや、別に警戒しなくてもいいじゃん。オレって、見せ物小屋から出てきて大きな板に血がついてるだけの板を見ても「すっげー大イタチだったよ! こりゃー見なきゃ損だよなぁ!」とか吹いてまわるタイプじゃないしー。「じゃぁ、こんなのはくだらない。大きな板に血がついてるだけだ。みんな見るな、とか言うか?」と聞かれると、ちょっと困るんだけどねぇ。くくく。いや、ほら、類は友を呼ぶじゃないけど、旅は道連れ、世は歌に連れとかいうじゃない?(もぉ、しどろもどろ)。

いや、天下の読売新聞が後押ししてるのに、買った人間が、宇宙開闢以来150億年の間に地球上でまだ40人ぐらいしかいないらしいから、今買えば、プレミア……にはならないよなぁ在庫切れないから。少なくとも、自慢はできるぞ。何の自慢かは、各自考えてくれ。

とにかく、お値段分の価値があるかは一切不明だが、第一回インターネット文芸新人賞の、その理念に感銘をおぼえて、とにかく買ってみれ! とか口から出まかせを言ってみたりするのだった。思いつきで言っているので責任は取らないのだった。言い逃れのために明言しておくのだった。

しかし、在庫切れがないとはいえ、この調子じゃWebのスペースを確保するのに足が出て公開中止(つまり在庫切れ)になるんじゃ? しかも、古本屋がある本みたいなファーストセルドクトリン(というのか?)が認められてないくさいデジタルデータだから、又貸しもできないし、コピーすれば即違法、って感じがなぁ。まぁ、杞憂かもしれないけど、なんかこういうデータって、権利持ってる人が一番、情熱も技術もなくて、死蔵、って末路をたどりそうでちょっと不安。

と、電子出版の未来にそこはかとない不安を抱きつつ、エキスパンドブックで読みましたよ、500ページ弱の、原稿用紙400枚にもならんとする分量を。なんか途中、単純な誤植が数カ所と丸一ページぐらい重複してて苦笑するシーンもあったけど、とりあえず4,5時間ぐらいかかって読み終わりました。

目が痛いっす。しょぼしょぼっす。

紙の本が欲しくなりました。まぢで。

読んだ本のタイトルと感想はとりあえず今日は伏せておこう。

しかし、なんか他人のSFとか読んでると、むらむらと創作意欲が湧いたりしますよねぇ。焦燥感というか「うおーオレもこうしちゃいられない」って感じ。別にアイデアが湧いてくるわけでも、実際に書けるわけでもないんですがねぇ。なんつーか「こうしちゃいられん!」って感じだけはするんですねぇ。この「こうしちゃいられないかもしれん!」って感じが沸き立つあたりが、SF読む醍醐味の一部だったりもしますねぇ。

君も沸き立ってきたかい? そーゆーお友達は、さっそく「すとりずりたーんず」に投稿だ! メインライターが逃亡したために開店休業中につき蜘蛛の巣がはってるから、今なら君がメインライターだ! わははははは。

ははは……すまん。


990114b[ link widthout quotation / 引用しないでワープ日記にリンクしてもいい理由 ]

【概要】(990115に追記)


GORRYなびろぐ990113に対する返答。

引用部分は「カッコに入れた斜体」で示します。「カッコに入れた立体」は、単なる強調です。

GORRYなびろぐ990113「ワープ日記って(中略)これではちっともHyperではない。」ってのには、正直「うわ、やられた」と思いましたよ。わっはっは。(って笑う所ですよね?)

まぁ、ワープ日記990112a「個人的には、HyperDiaryって単語がやっぱり好きだな。」とか語ったあたりに対するツッコミなんだろうと思いますが、「95年ごろは相互に言及しあいリンクしあうWeb上の日記、ってだけでHyperとか呼んでいた牧歌的時代だったんだねぇ」という昔話を語っただけであって、現在のワープ日記が、「99年におけるHyperDiary」にふさわしい姿だ、とか主張してるわけじゃないわけですから、勘弁してくだされ。

で、ワープ日記の被リンク性の低さ(リンクしにくさ)が指摘されてて、これは、その通りでしょう。「アンカー1個に対する文章が多すぎて、リンクしても、読む時に目で該当部分を探さなくてはならない」ってことで。これに関しては、タグを増やす方向で目下実験中なので、成果にご期待くだされ。(<a name=>タグをここでは「アンカー」と呼ぶことにします)。

リンクしづらい理由のもうひとつである「リンクを張る側は文章引用を要求されるし」って部分に関しては、ちょっと一言あります。(990115追記:以下の私の読み方が誤読だ、という指摘があったので、それに関して別項

以下「『引用せずにリンクするな』とは言ってない」ことの説明。

私は、

「Web日記、その他でワープ日記を批評・批判する場合、特にその表現に対しての場合は、その部分を「引用」することを推奨します。これは、知らずにその部分を改訂してしまった場合のためです。また、引用しない場合でも、あらかじめ該当するファイルを私的に保存しておくことを推奨します。」
諸星未来堂ワープ日記について・著作権的あつかいver.2.1
と書いていますが、これは「引用せずにリンクするな」ではありません。引用せずにリンクしようが、引用せずにリンクしてワープ日記の表現(じづら、言葉尻)を批判しようが、自由にしてください。

ただし、引用せずに、またローカルに保存もせずに批判して、あとから「はて、自分が批判した時と文面が違う気がする。困ったな」という事態になっても、私は知らないよ、ということです。問い合わせがあれば、できる範囲で応対しますが「私が最初読んだ気がするワープ日記ってどんな文面でしたっけ?」と聞かれても、答えられませんがな、ということです。

ワープ日記の改訂に関しては、細かいテニオハとか単純な漢字の間違えなんかは、特に断り無く訂正しますけども、文意が変わる程度の修正をする場合なんかは、できるだけオリジナルを残したまま明示的に訂正することにしています。(昨日のこれこれとかは、そういう例)。まぁ、完璧に明示的にしか修正してないか? と聞かれると、「訂正」と書かずに修正してしまったこともあったかも、ですが。また、一度公開した文章を削除しない方針で書いています。

にもかかわらず(というのも何ですが)、論争になると「オレが批判したから、こっそり訂正しただろう!」とか「自分が批判したときと文面が違う、戻せ」とか言い出す人がたまに居て、ま、実際に修正していた場合なら考えますが、手を加えてないにもかかわらず「オレが読んだ文面と違う!」と言われると、私としては、本当に困る、ということです。そういう事を言うなら、引用した上で文句言ってくれ、と。引用しておいたら、私が手を加えてないことが(あるいは手を加えたことが)そちらだけで判断できるでしょ、と。

さらに、言えば、世の中には「文章を批判されると、問題の文章を削除して、最初から無かったことにしてしまう」人もいまして、「批判してからリンク先が消滅してしまって、自分としては振り上げた拳が宙に浮いて気持ち悪い」と嘆く人もいますが、批判者の端くれなら、嘆く前に最初から引用しておくのが筋では、と思うわけです。(あ、「文章を削除すること全てが悪いこと」と断定するわけではありません。念のため。)

引用のススメ、に関しては、以上の様な「批判する時の」という話だけではなくて、単純に「個人のWeb日記は閉鎖や移転が多く、リンクが切れることが多いので、何の話をしているかわからなくならないように、最低限度の内容を引用するなり要約しておかないと、文書の自己完結性が著しく低下する」ということも考えのうちにあります。

まぁ、引用、要約はフレイムを誘発しやすいのは確かですが、引用、要約せずにリンクだけで話をすすめる形式だと「リンク先を読まないと、何の話かわからない」という事態が発生するので、私はあまり好きではないです。

引用・要約の是非に関しては「どれぐらいフレイムを誘発するか」と「どれぐらい文面がわからなくなるか」の兼ね合いになるわけです。って、真面目にその度合いを調節してみたことはありませんが。

極論すれば、私は「ある程度フレイムが発生するとしても、自分の文書の自己完結性を確保したい」という方針だということです。(なんか、フレイマー擁護論みたいになってきたなぁ。そういうつもりはないんだけど)。

という考え方で、ワープ日記で他人の文章を批判する時は引用しているし、逆に他人にもワープ日記批判の際には引用を推奨しているわけなんです。しかし、文面みると「引用しない場合のリンクは不許可」と読めなくもないので、後日、文章を改訂したいと思います。どう改訂されるか乞うご期待。

以上「『引用せずにリンクするな』とは言ってない」ことの説明でした。

GORRYさんの文章の後半の「すべての文章にuniqueなリンク先を準備すること」というのが、段落ごとなのか、トピックスごとなのか判別が付かなくて、多少、悩んだんですが、GORRYなびろぐ990114「上手にやればトピックだけでも十分機能すると思われるのだが。」という部分から、主に「トピックス毎」ということだと判断することにします。

しかしながら、段落毎、あるいは一文毎にアンカーが指定してあれば、リンクの自由度はさらに増すわけで、そのようなことも考えて書いたのが、ワープボード329なわけです。(別にGORRYさんが「形式段落毎にアンカーを打て」と書いたと思いこんだ」というわけではないんです)。リンクの自由度が増すといいことばかりじゃないかもしれませんが。

さらに、ワープ日記は一つのトピックスの長さと、その中での話の流れのころころ変わりぶりを考えると、「はたしてトピックスに一つのアンカーで足りるのか?」ということも考えられます。はち日記990113でも「いや、でも、ワープ日記のトピックスごとか…。ちょっと悩むかも(汗;)」という具合にこの危惧が表明されていますが、作者である私も、この危惧を感じます。

そういうわけで「全段落アンカー」という発想には興味を覚えるわけです。しかし、ご存知の通り(かどうか知りませんが)、ワープ日記は全手動タグ打ちで書かれていますので、あんまり細かくアンカー打ってると破綻してしまうので、ちょうどいい妥協点を探しているという段階です。(そのための実験)。(「いっそ破綻して書かないでいて欲しいんだけどね:p」と思った人、気持ちはわかるがそれは聞けない相談だぜ)。いきなり自動化するというわけにもいきませんしねぇ。(エディタとFTPがいかれたまま戻らないことはなくても、CGIが動かなくなって復旧できないことは私の技術力では充分発生しますから)。

最後に、なんか言葉尻をとらえてのなんとかみたいですが、GORRYなびろぐ990113の、

「自らの意見と、そしてリンクを張った相手に対して責任を持つ」というコミュニケーション意思表示
というのが、何のことかよくわからないんですが、できましたらもうちょっと砕いた表現で説明してもらえたら嬉しいです。

ちなみに、GORRYなびろぐ990114にも、

コミュニケーションの意志を明確に示すために
と出てきて、こちらは「『私はアナタとコミュニケートする意志がありますよ』と示すこと」だとわかるのですが、これと、「自らの意見と、そしてリンクを張った相手に対して責任を持つ」のつながりが、よくわかりませんので、よろしくお願いします。


990114a[ daily life / 日常生活(木) ]

福岡、曇天。


日替わりで、パラグラフ記号をかえてみよう作戦の第一段で、本日は「∴」である。数学の証明につかう「つまり」記号だと思うのだが、ひょっとすると地図記号の茶畑だの桑畑だのの記号かもしれないあたりがナイス。


GORRYさんがらみの「文章とアンカー」という話をどう書こうかと思っている間に、さっさとツッコマれてしまったので、とりあえず、考えたことを書く(ワープボード329)

しかし、これって、立派なネタバラシだなぁ。穴を埋める前にアイデアばらしちゃうと、文章書きにくいんだよなぁ。(なら、バラすなって>オレ)。まぁ、へたに穴塞いで「どうだ!」みたいに書くよりも、いいかもしれんという気もする。

穴塞ぐうんぬん、ってのはこっちのはなし、なんで穴を見つけてしまった人は、こっそりディスプレイの前で苦笑してくれると吉。もちろん指摘してくれてしまっても、いいんだけど。


GORRYさんがらみの「文章とアンカー」という話を「引用しないでワープ日記にリンクしてもいい理由」として別項に書いた。


「『キャンペーン先取り』キャンペーン」

さきぽんさんの「毎日パラグラフの先頭記号を変えるキャンペンを先取りされてちと口惜しい」ってのを読むと「やった帝都新聞を抜いた! ウチの特ダネだ!」的な気持ちよさが無きにもあらずやだったりしますが、次にやろうとしていた「冒頭一文字リンク」をやられてしまったので、差し引きでマイナスかしら。ぐし。

ま、冒頭一文字にアンカータグ埋めてたら、ソース的に冒頭一文字が切れて読みづらくなるや! へん、うらやましくなんかないやい! とか負け惜しんでみよう。って、htmlである以上、文中のどっかはタグで切れて読みづらくなってるんだけど、そこいらあたりは気付かないことになっているのだった。


「文章直リンク表現言及(ぶんしょうちょくりんくひょうげんげんきゅう)」

「全ての文章にアンカーを」に関して、はち日記990114に曰く、「「その表現」にリンクを張りたいことだってある訳ですから。 」

前後の文脈から切り離された特定の文章に直接リンクして「その表現」にだけ言及すると、フレイム誘発性ってことには、ならないんですかね?

引用のフレイム誘発性の原因を「文脈から切り話された文章の言葉尻だけをとらえるから」という風に説明することが多いですけども、「文章直リンク表現言及」って、これと同じになりませんかね?

ちがうとなると、このあたりになにやら解答というか光明が見える気がするんですが。


先程書いた文章に【概要】をつけてみた。

毎度のことながら、反論だのしだすと膨大になるオレとしては、せめて「何が言いたいのかとりあえず、すぐわかるようにする」ってことを考えて概要をつけてみたのだが。

いきなり長文で批判される相手のことを考えれば、せめて、概要ぐらい用意するのが批判する側の礼儀かもしれん、と思ったのだった。礼儀というか、サービスというか。まぁ「概要がないと論点がつかめないような長い批判文を書くのはやめれ」という話もあるな。

なんか、しかし、つけてみると、文章が硬くなってますますフレイミーな感じがしないでもないなぁ。がっくし。


990113a[ daily life / 日常生活(水) ]

福岡、晴れ。


GORRY日記990113で、ワープ日記の書式を批判されてしまった。nameタグが少なくてリンクしづらいって点では基本的に「おっしゃるとおり」なのだが、引用の是非とか、色々細かい話をするためには、形式段落ごと(<p>ごと)にnameタグを埋めなくてはならないので、また後で書く。

(990113追記:上の文、なんか、日本語が変だなぁ。気持ち悪いなぁ。書き直すと、

GORRY日記990113で、ワープ日記の書式を批判されてしまった。nameタグが少なくてリンクしづらいって点では基本的に「おっしゃるとおり」なのだが、引用の是非とか、色々細かい部分で言いたいことはある。しかし、色々細かい話をするためには、形式段落ごと(<p>ごと)にnameタグを埋めなくてはならないので、また後で書く。
となる。うむ、ちょっと落ち着いた。)

そういうわけで、ワープ日記にnameタグ埋め込みまくり実験中。やっぱ、スクリプトに移行しなくちゃいけないのかのー。せめて「トピックス毎でOK」って話にならないかなぁ?


どうでもいいが、本当に仕事場にインフルエンザが蔓延していて、恐ろしい。なんでも「40度弱の熱が出る」とか。また、声がガラガラになってる人もいる。しかも「二種類のウィルスがうろうろしているので、二度かかる」という話も。ううう。おそろしー。

昨夜、帰宅したら弟も熱だして寝込んでいたからなぁ。恐ろしいなぁ。ビタミンC飲みまくり。


タグ打ちまくりも、慣れればなんということもない気がしてきたな。書き下した後で、段落ごと移動させると面倒くさいけど。見栄えも冒頭の「●」も、気にするほど気にならないなぁ。いやー、そうは言っても、HyperTextるのも、なかなか辛いもんじゃの。ほえほえ。

書き終わってからまとめてタグ打つかな。けど、そうすると、また、いらいらするかもしれないなぁ。うーん、悩み。


晩飯カレー。昨日の晩飯もカレー。やっぱ、面倒くさいときはカレーだよな。そこそこうまいし。なんとなく元気でるしな。


「94年末にもネスケはあったのか」

昨日のワープ日記に「「94年末とかいう時代は(中略) まだネットスケープなくて」と書いたところ、 Kenji日記990113「94年末には Netscape 1 のベータ版があって」と書いてあった。

そうかー、94年末には、すでにネスケはあったのかー。

ネット始めたころは、モザイクしか無かったような気がしてたんで、てっきり地球上に存在してなかったのかと思った。って、オレの場合はMac版しか念頭になかったからかもしれないけども。

あー、ワープ日記970606a(のすげー下の方……タグなくてすまんって感じ)の方で昔話をしていて、

いにしえの某駄文でポン!950328【さらば!Netscape0.93】に「とにかく、Netscape0.93永い間、どうもありがとう。NCSA Mosaic, MacWebしかなかったら、たぶん、ボクはこんなにWWWにはまらなかったよ...... 」という熱い文が!
って文があるところを見ると、オレ的脳内世界では、「オレ的環境には95年になるまでネスケは無かったこと」になっていたみたいですねぇ。わはは。いや、Mac版の1.0とかずっと前に出ていたはずなんですけども。単に0.93のアイコン(モザイク社だったから真ん中にMがぐるぐるしていた)が好きだったから使い続けていたってだけで。そうか、94年からネスケはあったのか。「ネスケは」じゃなくて「モジラは」の方が、ちょっとは正確か。

そういうわけで、訂正。

昨夜の記事にも追記しておこう。


ありゃー、なんか、すまんでしたこちらを参考にしたつもりが勘違いしてしまったみたいでして。(って余計失礼かもなぁ。って、すまんことなのかどうかも、だんだんわからなくなってきた。それに、そもそも、オレのことだと考えるのが自意識過剰なのかもなぁ)

はてさて、JIS的に許可されてる記号で、あまり他人が使って無くて、んで、使ってうっとーしくない記号って、何かあるかなぁ?


これって、Perlで配列のインデックスが0から始まってて、インデックスが負だと、尻の方から数えた要素が出てくる、ってのにつながるんですかねぇ。素人なオレとか「どうして1からじゃないんだ、不気味だ」と思ったんですけど。


990112a[ daily life / 日常生活(火) ]

 福岡、晴れ。


「零十年代」の話。

 あだこケセラセラ990111が元ネタ。

 序数がどうして1からなのか、というのは、実はよく知りませんが、想像するに「零の発見が、人類の数学史の中で比較的遅かったから」じゃないかなと思います。零という概念を持たないまま自然言語がある程度成立してしまったのが原因かなと。

 あと、序数がどうして1から始まるのか、と直接関係ない話になりますが、「物理数学の直感的方法」だかに書いてあったことをうろ覚えのまま書くと、

  1. ある数を元の数に対して作用させて、元の数と変わらない数を考える。
  2. 足し算・引き算においては、それは「0」である。
  3. かけ算・わり算においては、それは「1」である。
  4. 自然対数の底e(2.71828……)が、どうして中途半端な数なのかといえば、それは、exp(a) x exp(b)=exp(a+b)、という関係が成り立つことから、かけ算と足し算の橋渡し的な役目を担っているために「1」にも「0」にもなれないから。
というような内容だったかな、と。(4.の説明はすげー怪しいので、あまり信じないで欲しいんだけど)

 序数が1から始まるのとかけ算わり算は、多分関係ないんだけど、「零から始まるのが美しい」とは、必ずしも言えない例のひとつ、ということで。というか「零基準なら何でも美しくおさまる」ってのは整数の世界に限定される発想かもしれんなぁ、と思います。

(って、書いてて、自然数と正の数と整数がごちゃまぜになってきたんだけど)

「日本語では,一番目の前に,零番目が在っても良いのではないか,と言う意味で,数値は零から始まるもの,と思っているんです.」ってのに関しては、「零番目って発想はありえない」とか思うよりも、「零番目もあり」とした方が便利(発想が広がって?)だと思うので、ありかなと。

 って、英単語に「零番目」ってあるのかな? zero-thを表す単語。

zeroth
-a. 零[ゼロ](番目)の, ゼロ次の.
(リーダーズ英和辞典)
 あぁ、あったのか。安心した。オレが心配しなくても、あるよなーそりゃー。こうなると「序数詞は一から始まる」ってのは本当なんかなー? 嘘かもしれん。しかし、まぁ、「日付が1から始まる」ってことの説明として「序数詞」を導入しただけだから、「日付が1から始まる」限り、話の流れは間違ってないだろう。

「まぁ,所詮は,プログラマの戯言と思って聞いていて下さい.」ってことですが、結局、年や日付は、日常生活では、自然数の発想で名前をつけたり数えたりしているにもかかわらず、年は実際には負の年代が存在する整数の世界なのが、問題なのかなぁと。(あー、負の年代はあるけど西暦には紀元零年がないや)。で、2桁で表現すると、今まで考えてなかった西暦零年が形式的に登場してしまって、ここで日常生活の用語との乖離が発生するのではないか、と。そして、プログラマの人はこの西暦零年に真面目に対処しなくてはならないあたりから「零」に対して敏感だった、と。で、「○十年代」という用語が使えなくなるあたりで、一般人もプログラマ的に零に向き合わなくてはならなくなったのではないか、と思うのです。

 というわけで、正の整数として零をあまり真面目に考えてないあたりが、2000年問題の遠因だと思うわけです(って、そんなことは、最初からわかりすぎだったのかのー? オレは今、やっと気付いたんだけど)。

 ってさー、戦前、戦中の人らは、平気で「零戦」とかいう言葉を使っていたんだからさー、多分、オレなんかより、ずーっと零に親しみもってるはずだー。あああ。ああ。やっぱ話がどっかで破綻している気がする。(だが、検証は後にまわす)。

 自然体数の底eの話は、やっぱ、余計だったような気がするなぁ。けど「零基準」にすると「零のわり算はできない」ってあたりで例外が必要だからなぁ。

 あー、あと西暦零年がなくても「西暦がヒトケタだから○十年代とは呼べない」って話は発生するのか。いかん、話の流れをおかしくしてしまった。

 ま、いいや、あとで考え直そう。


「戦前、戦中の人らは、平気で「零戦」とかいう言葉を使っていたんだからさー、多分、オレなんかより、ずーっと零に親しみもってるはずだー。」というのは、一応「零戦の正式名称は零式艦上戦闘機で、これは皇紀2600年式の下二桁の「00」をとって「零式」と呼んだわけだから、戦前・戦中の人らは、四桁の暦の下二桁が「00」なのを「零年」と呼称することには、親しみを持っているだろう」って意味ね。電網の彼方から微弱なツッコミ電波を受信したので、追記してみたよ。

 戦中・戦後派じゃなくても「パトレイバーthe movie」を観てしまった人なら「2000年式レイバー」を「零式」と呼ぶのには抵抗ないだろうなぁ。しかし「2100年式」なら「百式」かもなぁ。Zガンダムの「百式」は、宇宙世紀0100製造じゃなくて、単に形式番号が「MSN-00100」な所から来てるんだったかな。モビルスーツの型式番号もガンダムの「RX78」ってのは、多分、宇宙世紀0078から来てるんだろうけど。

「2001年宇宙の旅」の影響のせいか「2000年」は「にせんねん」じゃなくて、つい「にせん、ぜろねん」と呼んでしまうオレなのだった。

 やっぱ「1990年代」を「きゅうじゅうねんだい」と呼ぶなら、「2000年代」は「ぜろねんだい」かなぁ。昨日までは「昭和ヒトケタ」を「昭和零年代」とか呼んだら違和感あったけど、一日「ぜろ」とかについて考えていたら気にならなくなってきた。

 なんか、2000年生まれの男の子に「零士」ってつけてしまうお父さんって多いんじゃないかな、と不安になってしまうのだった。(ってネタは、すでにどっかで読んだような気もするな)


「ぼーくーヤジえもんですぅー」

 おぉ、ホソキン日記が、くりす日記に、何やら詰問調で質問してる。で、

ホソキン日記1999年1月12日

   ちなみに、このオレのサイトでは、「個人が開設しているWEBサイト」を何かに喩えるような言及は一切していません。(中略)とりあえず、「個人が開設しているWEBサイト=個人商店」というような、オレとは違った考えをお持ちのかたが、一体どこにいるか、というのには興味があります。
かー。オレが思うに、

ホソキン日記1998年12月21日

2・「webサイトを開く」ことが「道を歩いていて」とイコールだ、ってことはないでしょう。それとイコールなのは「個人レベルで店を開く」じゃないかと思います。
ってので、充分に「Webサイトを開くこと」を「個人レベルで店を開く」ことに喩えてるように読めるんだけどなぁ。「個人商店」と「個人レベルで店を開く」が違う可能性はあるんだけどね。まーこの部分も、実は、スタビライズ981220への返信であるから、暗黙の上で「ReadMeに登録しているWebサイト」の事なんだよねぇ。たぶん。

 ホソキン日記990112のさっき引用した部分の中略部分に、「「ReadMe! JAPAN Come Here!に登録しているかたのwebサイト」という特殊例に関してのみ、「原則として商売人お断り、的な、特定の広場で開かれる(開かれている)フリマ(の、「開いている店」)」という表現はしておりますが。」って制限が書いてあるし。

 しかし「ReadMe!に登録しているWebサイト」に「個人レベルで店を開く」とか「フリマの店」とかいう比喩を使った上で、「個人が開設しているWEBサイトを個人商店やフリーマーケットに喩える人が時々いる」と書かれて、「何かに喩えるような言及は一切していません。」と反応するのは、いかがなものか。

 それに、くりすさんの書いてることが「個人が開設しているWEBサイト=個人商店」と思った上の文章だとしても「ReadMe!に登録しているWebサイト」とした上の文章だとしても、たちどころに話がつながらなくなるとも思えないしなぁ。相手が自分の発言の一部を誤解しているとしても、相手の発言すべてがひっくりかえるもんでもないだろうし。(勿論、ひっくりかえる時もあるけど)。

 というわけで、オレ的にはホソキンさんは、挑発的口調でくりすさんの「誤読」を責めるよりも、自分のやってることの意義とかをもうすこし語った方がよかろうと思いますけどねぇ。「面白いところ紹介サイト」のつもりが、他人からは「個人ページ非難サイト」に見えてしまう可能性も考えた上で。

 けど、ま、ホソキンさん確信犯的にやってるんだろうから、よけいなおせわすぎたな。

 しかし、これで、くりす日記がホソキンさんのことじゃなかったとしたら、ものすごい空振りだよなぁ。

 んで、オレは横からクチバシつっこむというか、岡目八目を決め込むつもりだったりするんだけど、くりすさんとかSTABILIZEエイミさんとかの言ってることに全面的に賛成するわけでもないので、念のため。あ、ホソキンさんの言うことにも全面的には賛成しないので。ただ「オレがいつそんなこと言った? 何時何分何秒?」みたいな口調を使うほどかっちりした文章じゃない気がしたので、ツッコンでみたくなったのだった。

 いや、最近「オレってやっぱフレイマー体質?」とか思うことが多々あるので、他人のフレイミーな発言が気になる今日この頃なのよ。(「フレイミー」に関してはワープ日記981228bあたり参照)

 ほんわかぱっぱ。


 ずっと「『はうン』って何じゃろ?」と謎に思っていたので、ふるふる日記990112の説明を読んで、少し安心した。

「要は北大モノ?」っていう理解は、あたらずとも、とおからじレベルで合ってたらしいから。

 で、GORRYなびろぐ990112の、

以上、どれもオンラインでの活動を中心としているように見えるかもしれないが、そうではない。中心はオフラインであり顔と顔とのコミュニケーション、ネットワークはただの手段であり場所のひとつにすぎない。
ってあたりが「なるほどー」と納得できたりして。って「納得」するほど、はうンのことは知らないんだけど。


 ふるふる日記990112からとんで、ハイパー日記システムのWebページへ。しらない間に「EDI」というものと協賛関係になっていたらしい。イソターネットEDI部会へとぶ。

「EDI (Electronic Diary Interchange;電子交換日記) 」なのか! う、うーん、そこはかとない(あるいは露骨な)「うれしはずかし感」が、いい感じなのだろうか?

 個人的には、HyperDiaryって単語がやっぱり好きだな。

「HyperDiary」とかいう単語を使っていたころは、Apple社がやたらに製品に「Hyper」って名前をつけていたような気がするなぁ。それが「Power」になって、そして、暗黒時代になったような……。いまどき、htmlのリンクを「ハイパーリンク」とか呼ばない気がするなぁ。ハイパーリンクで結ばれた文書を「HyperText」と呼ぶこととか、なんか、すっかり忘れてしまっているなぁ。

「HyperDiary」って単語のオレ的定義は、すでに忘却の彼方なんだけども、

ここでいう「HyperDiary」ってのは、その昔、須藤玲司が提唱した概念で、詳しい定義とかは、すでにオイラ的にも忘却の彼方なんだけども「相互に言及しあいリンクしあうWeb上の日記」みたいなもんだな。単純な「Web日記」よりはもうすこし限定された意味なんだけども、いわゆる悪い意味での「身内日記」とか「仲良し日記」とか「日記読み日記」とは、少し方向性の違う概念なんだ。 ワープ日記980312aより)
ってぐらいかなぁ。 あるいは、ワープサーチの「Hyper」の検索結果を参照してくれるとと吉。

 前も書いたけど、オレがWebを知った94年末とかいう時代は、毎日更新されるWebの文章なんて、学生が実験名目で学校のサーバで書いてた「日記」ぐらいしかなかったからねぇ。まだネットスケープなくて、NTTが日本の表玄関で。ちなみにインターネットマガジン創刊号は1994年10月号。って、懐かしがってどーするよ。

(990113追記:94年末にはすでにネスケ1.0bが存在していたらしい。詳細は別項


 あー、しかし、(なぜか仕事場の本棚の片隅に放置されていた)インターネットマガジン創刊号とかめくってしまったんだが、なんかすげーなぁー。「創刊号:これがインターネットの世界だ。パソコンで始めるインターネット」だし「2号:WWW大航海記。Mosaicで21世紀のマゼランになれ!」だし「3号:WWWパブリッシング。電子メール革命」だからなぁ。なんか広告ページには「リムネット誕生」とかいう広告が書いてあるし。

 なんか、自分のパソコンで世界につながったりとか、自分のMacが世界に情報公開するサーバになったりするって、どきどきするよねー。って、オレMacは、いろいろな変遷をとげながらも、95年の4月あたりから丸3年半ぐらい、24時間年中無休でインターネットに情報発信し続けているって説もあるんだけども。(ほどんとNot Foundって文字列なのが大笑いだけど)。

♪あのときのときめきは
 ♪確かに思い出せるけど
  ♪もぉ二度と感じることはできない

「♪きみはーちゅーねんー」、がーそ! ま、まだ「青年」だいッ!

(990112追記:あ、これ「銀河漂流バイファム」の挿入歌ね。あ、「君はス・テ・キ」ってタイトルだったな。「君は少年」ってタイトルかなとか思ってしまった。いや「君は中年」じゃなくてさ)


 懐かしいついでに、大森西葛西日記981127の「ディアセミナーコモエスタ坂本×一瀬大志@Japan Edge」ネタとかに言及してみようかしら。

トークのほうは、WWW草創期の話題が中心。94年のウェブ状況はよく知らないのでなるほどなあという感じ。(コンテンツに関しては)「95年で燃えつきた」という一瀬くんの気持ちはよくわかる――というか、あの当時の盛り上がりかたが異常だったというべきか。個人ホームページ持ってるだけで友だちになれた幸福な時代。とか考えると、SFファンダム草創期とあんまりかわらなかったり。 大森西葛西日記981127より)

「95年で燃えつきた」のかー。確かに、個人ホームページ持ってるだけで友達になれた幸福な時代(だったのかな?)は、一時的なものでしたねぇ。たしかにねぇ、Web日記書いて津田日記リンクスにリンクされてただけで、河合あみこさん@キノトロープん家にころがりこんで、ソバの薬味のネギを一人で食って怒られたり、勝手に電話線抜いてモデムにつないで怒られたり、留守番してる間に部屋散らかして怒られたりできた時代ですからねぇ。って、何書いてるのかわからなくなってきたけど。

 しかし、なんというか、同時に「早くWebページが当たり前になって、わざわざ『ボクのホームページがね』『ホームページもってるんだカッコイー』『いやーそれほどでもないよ、それでね……』とか言わなくて済むような時代にならないかしらん」とか思っていたのも事実で、誰にも彼にもメールが届いて、周囲に知っておいて欲しいことはMLに流すなりWebに書くなりしておけば、だいたい話が伝わるようになって欲しいなぁと思っていたわけで、そういう点ではいい時代かもしれないですねぇ。って、まだまだ足らない気もしますが。とにかく「インターネットの……」「いんたーねっと、って?」って言われないだけありがたい、というか。

 GTと飯食うときに、出会いがしらに「福岡市博物館のアレだけどさ、今週じゃなくて来週にしようぜ」とか言われて、まだ「博物館に人体のスライス標本みにいこうぜー」とすら言ってない状態で話が進んでくれる現在は、便利といえば便利だけど、久しぶりに会って「とっときのネタ」を披露し始めた途端に「あぁ、ワープで読んだよ」と流されてガックシって事もあるし、出会い頭に「昨日のアレは、ちーとフレイミー過ぎないか? 気をつけれ」とか言われてしまってくたばったりするしなぁ。

 あるいは、久しぶりに会った知人から「ワープ日記読んでるよ。ふふふ」とか切り出されて「いやいや、説明しなくてもわかってるって」と言われて、で会話してるとどーも話が食い違うので、話を聞いてみると、思いっきり誤読されていたりとか。誤読されるのはいいんだけど、相手がなまじ「説明しなくてもわかってるって」って思ってるだけに、訂正しづらい。(訂正するのは、その場の会話の噛み合わなさ解消のためね。根本的な誤読訂正をしよう、とする話じゃなくて)。

 しかし、個人的に95年ぐらいのWebの状況で面白いと思っていたことは「テクノな人とオタクな人の不本意ながらの呉越同舟」ってことかなぁ? やってることは、実は似てるかもしれないのに、己がかっこいいかどうかの自覚が180度ぐらい違うテクノな人とオタクな人が、なぜか「個人Webページ」というメディアで隣同士に並んでいて、とっても居心地が悪かった感じが面白かったかもなぁ。

 って、オレの「テクノ」の理解というか定義が変なのかもだけど。テクノな人がフライヤーに凝る神経と、オタクな人が同人誌作る神経って、はたから見てると同じようにしか見えないけど、なんとなく「コミケと同じ?」とかテクノな人に質問したら半殺しにあいそうな雰囲気というか(ってここまで書いたら思いっきり偏見だなぁ)。

 それにしても、一瀬さんかー。実は、一度、福岡は天神の某クラブのイベントで会ったことがあるんだけど(って紹介してもらったんだけど)「ネットワークトラベラー95」だかの写真から華奢な人だと思っていたら、オレよりずっとデカい人でビビった記憶があるなぁ。なんというか、オレ的には「Japan Edgeを導いてる長髪でデジタルな鋭い人だよ、ときかされていたので小室哲哉が出てくると思ったら、飯野賢治が出てきて驚いた」というようなイメージかしら。(とか勝手なことを書く)。


 昨日の「リーダー『ス』英和辞典」のネタに「ジューダス英和辞典」ってネタを追記。


990111a[ daily life / 日常生活(月) ]

 福岡、曇り。ちょっと寒いが先週ほどではない。


「ホソキン流Web日記ファイル2000年問題」と「ファイル名の一意性」

 ワープ日記990107aで、

 ホソキン日記990107
あちこちの日記系サイトを見てみたら、ファイル名が2000年問題に対応していないようなところが多いようです。今年のうちに「9901」じゃなくて「199901」にしておいたほうがいいのでは…。
 って、0001ってファイル名にしたらなんか変になるのかな? なるから2000年問題なんだ、ということか。
と書いた話の続編。

 ホソキン日記990111

個人日記のファイル名の扱い。なるほど、確かに個人で100年以上にわたって日記をつけるかたはいないだろうし、同一名ファイルがなければ(区別がつけば)「9901」でも「199901」でもいいんでしょうね。オレはとにかく、自分で一番使うソフトがファイルメーカーだっていう「並べちゃうおじさん」なもんで、ちゃんとソートできるようになっていないと使い勝手が悪いんだな。
とのこと。

 うーん、並べ替えがうまくいかないってのも「2000年問題」のうちの一つだな、言われてみれば。確かにあまり気持ちのいい話ではないな。

 しかし、ホソキンさんのWebページにある過去の記事は、
http://www2c.biglobe.ne.jp/%7Ehosoda/innikki/chosaku19981102.html
のような「キーワード+日付.html」って形式になっているから、ファイル名で並べても日付順にならないんだけども、そのあたりは気にならないんだろうか? そういう話じゃないのかな?

 さて、

「個人の日記が100年以上続かない」ってのは、今のところ当たり前な気がするけど、100才以上生きることは可能なわけなんで、考えておいて損はない。

 たとえば、個人のWeb日記なら100年は続かなくても、何かの組織の台帳みたいなものをWeb化することを考えると3代120年とか、簡単に発生するかも。社史とかさ。あるいは100年続いてなくても、幕末とか19世紀末の歴史上の人物の日記とか書簡をWeb化したとしたらすでに、100年ぐらいの時間を超えて19世紀末と20世紀末がごちゃ混ぜになるかも。

 そういうわけで、何か深刻な理由がない限り(使ってるコンピュータがファイル名として6文字しか付けられないとか)、西暦は4桁で表示しておいた方が無難でしょうねぇ。ファイル名の一意性はあった方がいいから。

「ファイル名の一意性」ってことで考えると、「/1998/12/01.html」とか「/1998/1201.html」とか、細かくきちんとディレクトリにわけてファイルを整理している人の方が、かえってファイル名の重複が発生しやすい。ファイル名が重複していると「うっかり去年のファイルに上書き」とかやったり、「1201.htmlって何年のだろう?」ってことが発生するかもなので、個人的にはファイル名だけで一意になってる方が好きなんだけど、まぁ、これも程度問題で、他の人のマシンにダウンロードされてしまえば「w9901b.htmって、誰のファイルだっけ?」ということになるわけで。

 個人的には、このままワープ日記書き続けたとしたら、2000年からw200001a.htmとかいう形式にしようかなと考えているわけだけど、「w9912d.htmの次がw200001a.htmでも構わない」と主張するなら、すでに「w9812d.htmの次がw1999a.htmでも構わなかったのでは?」ってことになるなぁ。そういう意味では、ホソキンさんの「今年のうちに「9901」じゃなくて「199901」にしておいたほうがいいのでは…。」ってのは正しかったわけだ。

 しかし、過去のファイル名をいきなり変更するのは反対。URLが変わってしまってリンクが切れるから。(サーバ移転とかするのを契機に、だったら、いいかもだけど)。やる場合は、古いファイルも残しておいて、とするか、古いファイルにアクセスされたら新しいファイルに移動できるように何か細工をしておく、ということが大切かな。

 とにかく、「991231.htmlの後に000101.html」とやってそのまま続けていくと、百年以内にファイル名が枯渇するんだけども、「991231.htmlの後に20000101.html」と続ければ、95年あたりからWeb日記を書き続けている人でも、ファイル名が追いつくのは西暦9500年代なので、7500年ぐらいかせげるかな、と。(追いついても同じファイル名にはならないけどね。950101.htmlと95010101.html(1995年1月1日と9501年1月1日)で追いつくけどファイル名の長さが違うから。

 7500年あれは充分なのか、それとも気付いてみたらあっという間なのか、そこらあたりは考慮のしどころだな。

 まぁ、個人のWeb日記のファイル名を100年以上のタイムスパンで考察したり、「ファイル名が何文字」とかいう発想(概念)が何年も何十年も、あるいは何千年も生き残ると仮定したりするのが、ばかばかしいといえばばかばかしいですけどね。

 まぁ、世の中の多くの人が、自分がWeb日記を一年以上にわたって書き続けるとか想像だにせずに書き始めたり、毎週あるいは毎月末に過去の日記を削除するのを当然と考えてみたりしている今の状況を考えると、2000年問題をネタにして、「個人データの蓄積」とかいうことを考えてみるのも一興かと。(もちろん「個人データを蓄積しないことが必要」という話になる可能性も大いにある。)


 ちなみに、ワープ日記は、ファイル名だけじゃなくて記事番号(990111aとかね)も一意になっている。(過去にネタバレ対策裏ページと一部重複してるのがあるかもだが)。

 ただ、まぁ「日常生活」の項目の中に、複数の話題が入り込んでいるので「一意」といっても、まだ細分化が必要なんだけどね。


「電子本とオタキングとあちくし」

 みのうら風虎日記990107

大森さんとこで話題の電子出版、なぜ岡田さんのサイトは話題にならないのきゃ? 以下はその引用。
こうすることによって、僕の本の売り上げは下がるかも知れない。でも僕は本来、書籍 とはタダで立ち読みできて、その上で買うかどうかの判断が出来るべきだと思う。その 上で内容に共感した人は、僕をサポートするために、あるいは自分の思い出のために 書店で買って欲しい。
 この「思い出のために」ってのがむちゃくちゃ重要。本を買う、という行為には、かぎりなく物欲、所有欲が付きまとっている。データを抱きしめることはできない。

「岡田さんのサイト」ってのは、国際おたく大学図書館のサイトなんだけど、たとえば「ぼくたちの洗脳社会」のページには

「このページではネットワーク上の実験として全文書データを公開しています。
 読んだ人は必ず感想をメールで出すか、ノートに書いていってくださいね。 」
と「必ず」が赤字で明記されてあったりするんだよなぁ。

 で、岡田斗司夫の新オタク日記960408

「ぼくたちの洗脳社会」の意見・感想メールがまた来た。返事のメール書く。あ あ、金にならないことをオレはやっている、という後ろめたさで家族に隠れて作業した。
てんだから、オタキングともあろう男が、絵に描いたような自業自得状態だわ。この自業自得がオタキングだ! かもだが。

 まぁ、ここまではどうということはないんだけど、あくまで噂の話だが、この「ぼくたちの洗脳社会」のテキスト公開後に、オタキングがどっかで「本で買った読者からは感想がたくさんくるのに、Webで(ただで)読んだ読者からは全然、感想メールが来ない」とぶーたれていた、とかいう噂やら、「国際おたく大学」でオタクを束ねて何かしてやろうと企んでいたけど、あつまったのが「困ったオタクちゃん」ばっかりだったので、うんざりして投げてしまったという噂とか、聞いてしまったので、オレはオタキングという人のやることは、字面どおりには受け取らないことにしているのだった。(だって、関西人だしー)。

 以上の話、「あくまで噂」にすぎないことを「さもありなん」と確認もせずにオレが信じていることに注意。

 まぁ、オタキングが本当にぶーたれていたのかは謎なんだけども、「オタキングが感想が来ないとぶーたれている、という噂を諸星が聞いた」のは事実で、それは、ワープ日記960705aに、

岡田斗司夫「オタク学入門」がすげー売れてる話になる。ちがう。GAINAXと岡田斗司夫、どっちが得したのか、とかいう話題だったような。「ぼくらの洗脳社会」は本で買ったんだよね。感想メールだしてないけど。
とわざわざ書いていることからもわかる。

 あ、ワープ日記980409aでも言及してた。

んでオタキングは「評論家みたいなことは、もぉいいからやめた」みたいなことを最後に述べてる。オタキング岡田斗司夫は、いつもすげーいいこと言うと思うのだが、どうも、「拍手が少ない!」ってプリプリしてるんじゃないか、って気がしてしかたがない。

「ぼくらの洗脳社会」をWebで公開したときに「(無料で読んだくせに)メールおくってくる奴が少ない」とかぼやいていたとかいなかったとかいう話をきいたような気がするけども、確認してないから、まぁ、単なる「これって下衆の勘ぐり、ってやつー?」な気がするんだけども。

 つーわけで、なんか「オタキングってすげい!」って拍手しないと、もぉ面白いことしてやんないよ! って言ってるように(オレには)読めてしまったよ、と。

 ちなみに、なぜ感想メールを出さなかったかと言えば、

  1. 単に面倒くさかった。
  2. 「読んだ人は必ず感想をメールで出すか、ノートに書いていってくださいね。」というWebページの注意書きがうっとーしかった。
  3. Webで横書きテキスト読むのが苦痛な上に「読んだ人は……」と明記してあるので、よけい腹が立った。
って感じだけど、まぁ、最大のは、読む前に以下の発言を読んでいたから。まぁ、わざわざオタキングをこれ以上、いい気持ちにしてさしあげる必要はあるまい。わはははは。

岡田斗司夫の新オタク日記960408

夜、『ぼくたちの洗脳社会』の感想をメール貰う。
「お世辞抜きで、これから先10年は僕の中でバイブルに匹敵する書になるでしょう。」 全然いい気持ちになれないのは、オレが「当然」と思っているからだろうな。

 ちなみに、オレ「ぼくたちの洗脳社会」の感想文はワープ日記960518dだ。

・960518d【「ぼくたちの洗脳社会」読了】
 オタキング岡田斗司夫の「ぼくたちの洗脳社会」を(だらだら読んでいてやっと)読了した。って(村上隆のMr.DOBのオブジェのカバーが不気味な)本で読んだんですけれども。「自由洗脳主義社会」のヴィジョンについては例がいくつか「なるほど」って思った以外は、まー前からいろいろいわれていたことの総括的でそれほど「おぉおおお」でもなかった気がする的。どっちかっていうとそこにいたる「もの不足時間あまり社会=デジタル中世」って流れが面白かった。
 オイラは個人的には、自由洗脳主義社会あるいはヲタク的価値観の波をぎりぎり背後に感じながら資本主義の最後の世代として生き続けていくんだろうと思っていたのが、ぐずぐずモラトリアムしているうちにどうも、波頭の中にのまれていたような(^_^;;

 ちなみに、ワープ日記981002aで、「小説文の縦書き横書き」というネタ(つまり電子本ネタ)の中で、オタキングのテキスト公開に言及してたな。

 ただ、まぁ、オレ個人としては、小説は、いまだに横書きで読みたくないな。 (中略)オレ、本は基本的に、ねっころがって読まないとダメなタイプだし。オタキング岡田斗司夫が、いくら無料で「ぼくらの洗脳社会」をWeb上で公開しても、金だして紙の本買って、ねっころがって読む方が楽だし。(実際に金だして買って、ねっころがって読んだ)。

 どうでもいいが、オレ書名をとことん「ぼくの洗脳社会」だと思いこんでいたようだ。

 以上が「電子本とオタキングとあちくし」なんだけど、なんだか「ボクがオタキングを信用しないわけ」みたいな文になってしまったな。ま、しょうがないじゃない。ガイナックス関係者を信用できるわけがない(暴言)。


 オタキングに言及するだけで力尽きて、風虎日記へのコメントを書けなかったので、追記。

 みのうら風虎日記990107

 この「思い出のために」ってのがむちゃくちゃ重要。本を買う、という行為には、かぎりなく物欲、所有欲が付きまとっている。データを抱きしめることはできない。

 まぁ、コレクション的に「本という物体」が欲しい場合には電子本(ダウンロードしてデータ)では、満たされないものがあるでしょうねぇ。この分野の「上装本」のような分野では本はまだまだ生き続けるんでしょうねぇ。あんまり本をコレクター的に集めたことがないので、いまひとつ「本を買うということ」がピンときてないかもですが。

 ま、とりあえず「資料としての本」という側面だけからみても電子本というかデジタル本は必要だと思うので。大森アニの言葉を借りれば、

 にもかかわらず電子本をしつこく支援しつづけるのは、物理的な大きさを持つ「本」が量的にすでにパンク状態に達しているからにほかならない。 (中略) 空間の量は有限なのに本は無限に増殖する。 (中略) こうなるともう開いたページからたちのぼるほのかな香りが……とか悠長なことをいってる場合ではないのである。
ということになるのかな。(SFマガジン1994年10月号《SF翻訳講座》より)。あー、しかし、ここで書いたのは「物体としての本」の話だけだな。

  「本を買う、という行為には、かぎりなく物欲、所有欲が付きまとっている。てのは「購入するという行為にまつわるカタルシス」に比重があって、「データを抱きしめることはできない。」ってのが、「物体としての本」に比重があるように(も)読める。「『本』という『有体物』を『買』って『所有』する」っていう行為には色々な意味的な条件が付随しているからなぁ。たとえば、

とか。

 具体例で説明すれば、通販カタログで買い物をしてスッキリするとしたら、「買う」という行為そのものに「有体物としての本」は関係ない。しかし、ここで言う「買うという行為」が「有体物としての本を書店で手にとってそれを撫でさすってレジに持っていくという行為」をイメージしていれば、限りなく有体物としての本は重要だ。また「所有」も「自由に使用できる」というなら有体物である必要はない。「自分はそれを持っているということを示すための社会的なシンボル」なら、そもそも買う必要もなく「あれ読んだよ」で済む。というような感じだろうか。

 まぁ「超整理法」の中で、著者の野口センセーも「本の整理は絶望的。本はセンチメンタル・バリアが高いので、なかなか捨てられない」というような事を述べていたから、「本」ってのは、物体のようでいて物体でなく、物体でないようでいて、やはり物体であるなかなか特殊なものなんだろうけど。


 誤植ハンターとの誉れも高い♪きむらかずし氏から「『リーダース』じゃなくて『リーダーズ』」と訂正されてしまった諸星です。ぐえ。

 確かに「電子ブック版 リーダーズ英和辞典」なわけで、「リーダース」というのは間違い。

 しかし「リーダース」で何の違和感もないので、もしやと思ってgooで調べてみたら、いままでずーっと「リーダース」と書いていたらしい。がーん。はずかしー!

 よし、あとでこっそり修正しておこう。ふふふ。

 しかし、どうして「readers」だか「reader's」だかを「リーダース」と読んでいたのだろうなぁ?「リーダー」の複数形だの所有形だのと聞かれれば、自分でも「リーダーズ」だと思うのだが。

 あー、わかった「ジーニアス(genius)英和辞典」みたいに「リーダス(readous)」とかいう形容詞だと思いこんでいたのかも。あるいは固有名詞とかさ。(って「genius」って名詞しかないのか。形容詞もあると思っていたのに)

(うーむ、Reader's Digestを「リーダース・ダイジェスト」と読んでる人もいる。けっこう多いなぁ「リーダース」っての)

(990112追記)

 あ、でも上の「リーダース」は「leaders」か。けどこれも「リーダーズ」だろうな。ズとスの発音ルール、忘れてしまったわいな。

 書いたつもりで忘れていたので追記するけど「ジーニアス英和辞典」ってのから容易に「ジーザス(Jesus)英和辞典」ってのが浮かぶよねぇ。って、それは新約聖書なのかもしれず。「ジーザス英和辞典」がありなら裏版として「ジューダス(Judas)英和辞典」もありだよなぁ、まさに「悪魔の辞典」かもしれないけども。

ジューダス・プリーストスーパースター」なんちて。

 いや、大森伝言板0743のタイトルで「ジューダス英和辞典」ってボケたまま、説明するの忘れていたので。(説明しなくちゃわからんようなボケ方するなって>オレ)

(990112追記)


 某所でケーブルテレビだか衛星だかしらないが、洋楽プロモが果てしなく流れる番組をみしてもらった。

 ええのぉ、なんかよくわからんが洋楽のプロモかっこいいぜー。

 マライア&ウィットニーの歌は、ディズニーのモーゼの映画の主題歌らしいな。

 おぉ、シェールの新曲の「believe」って面白いなぁ。ボコーダーっぽい処理が面白い。うーん、オレの中ではシェールって「顔が長いけど美人」だと思っているのだが、世間では「アダムスファミリーのおかーさんみたいで、魔女みたいで怖い」ということになっているらしい。

 ほえ? SONYだかのCMで有名な「ローリーン・ヒル」って人は「Fugees」のボーカルだったのか。CMみてて「こんど、CDを聴いてみたい」と思っていたのだが、知らないあいだにすでに48時間ぐらい聴いてしまっていたぞフージーズのCD。

 あれ、スパイスガールズ、いつの間に4人になっていたんだ? それはともかく、残った4人の中に、ひとり、MAXのリナと同じ顔した人がいるような気がする。

 うー、ジョージ・マイケルのヒゲ、やっぱり変だよー。


【本文おわり】

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