MOROBOSHI Tomorou's Warp Diary 1997 March 2nd Week B-SIDE
【ワープ日記九八年三月第二集・ねたばれ編】

【ワープ日記・最新版】 【ワープ日記・3月第2週】

980315z[ loop is not looping / 『高山竜司』は二度死なない。 ]


「リング」「らせん」「ループ」の小説のネタバレするから、いやな人は読んではいけませんよ!


 さて、「ループ」と「リング」を再度読み返してみたのだが、そもそも「リング」と「ループ」の内容は、単純に比較すると矛盾しているのだった。

 矛盾、というか、「ループ」の中で、砂漠の無人の研究室でヘッドセットディスプレイをかぶったカオル君は、『ループ世界』の歴史を検証するのであるけれども、そこに出てくる「高山竜司の死」(つまり「リング」のラスト近く)の描写は、あきらかに「リング」で描写されていた「高山竜司の死」と矛盾しているのだった。

「ループ」の中でカオルが検証する「高山竜司の死」のシーンでは、竜司は舞に電話をかけて悲鳴を聞かせた後、自分で電話を切って、『ループ世界』の外に向かって、電話をかける。舞にきかせた悲鳴は断末魔の悲鳴ではなくて「神につながる電話番号をビデオの中に発見した歓喜の叫び」だったわけである。

 一方、「リング」のラスト近くの「高山竜司の死」では、竜司は舞に電話して断末魔の悲鳴を聞かせた後、そのまま絶命している。竜司が死んだ後も、電話口からは、舞の「もしもし」という声が聞こえていた。

 と、いうわけで小説「リング」と「小説『ループ』内でカオルが検証する竜司の死のシーン」は、矛盾しているのだった。

 もちろん、解釈はいろいろ成立する。「同時に構想を練っていたわけじゃないから、しかたない」とか「鈴木光司は、細かいことは気にしない」とかいう解釈じゃなくて、もっと作品内部だけで完結するような解釈を考えてみたい。(「細かいことは無視したんだろうな」と言うのが一番簡単だけども)

 まず、「ループ」側を疑うとすると、「小説『ループ』内部ででてくる竜司の死のシーンの描写はエリオットがカオルをはめるために手を入れていたもので、本来の『ループ世界』の歴史、ではない」ということが考えられる。

 さらに「リング」側を疑うとすれば「小説『リング』は、『ループ世界』内部の歴史を描写したものではなくて、『ループ世界』で浅川の兄が出版しようと企んで弟のレポートを小説に書き換えた『リング』という小説だ」という解釈。つまりは、小説「らせん」の世界で、安藤が出版さしとめをしようと思って挫折する本だ、という解釈である。あるいは、その後つくられた映画の「リング」の世界の話、とも考えられる。

 この現実世界で鈴木光司が書いた小説「リング」は「らせん」や「ループ」より先に発表されてしまっているので、「らせん」や「ループ」は、「リング」の中にやばい描写があっても、いまさら訂正できない、という問題がある。そのかわり、「リング」と「らせん」は「ループ」に取ってみれば「作中の仮想空間の物語」ということになっているので、いってみれば、作中で堂々と「訂正」が可能なのである。特に、「リング」は「らせん」内部で、すでにレポートと小説と映画にされているので、いくらでも訂正は可能。そういうわけで「先に出版されてしまったので、後から作られたやつと矛盾が出ている」という「リング」の弱点は「何重にもフィクション扱いされることで、いくら矛盾があっても大丈夫になっている」という強みがあるのである。

 おぉ! こう考えたら、いくら矛盾があっても、いいじゃないか!

 あるいは、まぁ、「らせん」のキーワードを使って「突然変異!」と思えばいい、という気もするのだった。小説「リング」で読んだ物語は、続編「らせん」の登場とともに「突然変異」したので、古い形である小説を持ち出して「ここに書いてある」というのは無意味な努力なのだった。って、「らせん」が出たときに、そういう話をした・されてたような気がしてきたなぁ。けど、あの当時の理解としては「書いてある字面から、素直に読みとれる事情が、別の文脈で読み替えられる」ってのを「突然変異」と思っていたのだけれども、すでに「字として明記してあることすら変更されてしまう」という意味だったのか。

 なるほど「描写が矛盾している!」じゃなくて「比較してみたところ、無視できない類似点が発見された。こうなると別の物語ではなく、本来同じ物語が突然変異で別のものに変化したと考える方が妥当だ」と納得すべきなのか。

 すげいぜ! 便利だぜ「突然変異」(ここまで来ると、もはや「ご都合主義」の変名になってしまうのであるが)

 なお、「ループ」の作中で、エリオットが再起動した『ループ世界』に介入したこと、そして、介入の目的は「安藤医師の息子を復活させたのは、カオルである竜司をスムーズに『ループ世界』にとけ込ませるためだった」と明記してあるので、おそらく、最初のガン化した『ループ世界』の歴史では、竜司は復活しなかったし、安藤医師の息子も復活しなかったし、そもそも安藤医師は事件に巻き込まれず、「らせん」の前半で描かれたような経過で舞の胎内から復活した山村貞子は、勝手に増殖して世界をガン化したのだろう。

 と、いうわけで、「らせん」で描かれた物語は、少なくとも「救世主カオル=竜司」を降臨させるために、エリオットが修正した再起動後の『ループ世界』の歴史、ということだろう。

 つまりは、カオルが砂漠の研究所で目撃していた『ループ世界』の「高山竜司の死」は、エリオットによって、すでに救世主カオルが登場できるように準備された後の歴史だった、と。

 竜司の死のシーンで、竜司がかけた電話がカオルにつながる、ってのはどう考えてもエリオットの演出としか考えられないわけで、そうなると、竜司の電話が最初の『ループ世界の歴史』に存在したかどうかも怪しい。(あれがエリオットの創作だとすれば、最初の『ループ世界』と「リング」が矛盾してなかった可能性もある)。

 しかし、エリオットがカオルに真実を述べているとすれば、エリオットが竜司を現実世界(もちろん「ループ」の作中の現実世界ね)に蘇らせようと企んだ理由は、あの電話をきいたから、であるので、竜司が死の間際に、「神」に向かって電話した事実は『ループ世界』の最初の歴史にも、当然、あった筈である。

 安藤医師の子供の復活も、エリオットと無関係に『ループ世界』内部に出現した「リング・ウイルス」のきまぐれで、たまたま復活していたとも考えられる。ただし、「竜司=カオル復活のために」と明記してあるので、その線は薄いと思われる。

 とにかく、「リング」「らせん」と、「ループ」作中で出てくる「リング事件」「らせん事件」は、前者は作中で出てくるフィクション作品かもしれない、後者はエリオットによる修正済内容かもしれない、ということで、結局「矛盾してもかまわないし、そもそも、どれが本当かは、わからない」というのが一番、妥当な解釈ではないか、と。


 というわけで「妥当な解釈」を持ち出してみたが、あんまり信じてはないが、実はもうひとつ「一番リーズナブルな解釈」ってのがあって、それは、誰もが思う「全部エリオットの狂言」という解釈。

「ループ」作中の現実世界で転移性ヒトガンウイルスが猛威を振るっているのは、事実だとしても、それがシミュレーションの「ループ」と本当に関係があるのか、と考えると、すべてのヒントと証拠は、エリオット経由で出てきているわけである。で、あるからして、一番わかりやすい解釈として「とにかく、マッド・サイエンティストのエリオット博士は、ニューキャップ装置で、カオル君をとにかくバラバラにしてみただけ」というのが考えられる。つまり、ヒトガンウイルスとの類似性とか、なんとか、かんとかも含めて、とにかく「エリオット博士は、ニューキャップ装置で誰かをバラバラにしたくて、結果としてまんまとバラバラにした」ってことだけが、事実なのではないか、と。

 この場合、カオル君が本当に、『ループ世界』のタカヤマリュウジから合成されたかどうかは、問題ではない、ってことである。とにかく、エリオット博士は、いずれバラバラにするつもりで、ガキのころからカオル君をマークしていたのは、間違いないけども、「ループから出現した」とかいうのも、全部「妄想」かもしれない。

 と、いうわけで、「エリオットの狂言説」が「一番リーズナブルな解釈」だと思う。(って、これは、もぉ「ご都合主義」以外のなんでもないな)

 ま、「究極にリーズナブルな解釈」である「作者が嘘ついてる」ってのを排除しているだけ、まだオイラも正気なんだろう、とか思うのだった。


結論その1:
「リング」と「ループ」が矛盾しているのは、物語が突然変異したからだ。
結論その2:
「リング」と「ループ」が矛盾しているのは、「リング」が作中のフィクション作品であり「ループ」の描写がエリオットによって修正されていることによる、相乗効果である。よって、「「ループ」作中世界での最初の『ループ世界』の歴史」は、どこにも掲載されていないし、確定もできない。
結論その3(「一番リーズナブルな解釈」):
全部は「エリオットの狂言」だから、どこもかしこも、嘘ばかり。
結論その4(「究極にリーズナブルな解釈」):
作者・鈴木光司が嘘ついてる。


980314z[ looping loop? / 『高山竜司』は二度死ぬ ]


「リング」「らせん」「ループ」の小説のネタバレするから、いやな人は読んではいけませんよ!


「ループ」に関して、どうにも気になることなのだが、「らせん」という物語は、『ループ世界』の歴史のどの部分を記述したものなんだろうか? 

 一番わかりやすく自然な読み方は「『ループ世界』は、復活した山村貞子と高山竜司の陰謀でリングウイルスによってガン化して滅亡した」って読み方だと思う。つまり、竜司は、最初の『ループ世界』でも復活し、「ループ」作品のラストで、今度はカオル君として二度目の復活をした、と。二度目は神として世界を救うために降臨したんだけども。この考えで行くと、「らせん」は「『ループ世界』の最初の歴史(ガン化)を描いた話」ということになる。 (A説:「竜司復活二度説」)

 もう一つの読み方は「『ループ世界』は、復活した山村貞子とリングウイルスによってガン化して滅亡した。しかし、竜司は復活してない。「ループ」作品ラストで、カオル君が竜司として降臨したのが、『ループ世界』初の「竜司の復活」だった」という読み方。この場合「らせん」は「『ループ世界』の二度目の歴史(カオルによる救済)を描いた話」ということになる。(B説:「竜司復活一度説」)

 オイラの今の状況を述べると「A説でもB説でもいける」ということにないる。好き嫌いで述べると「B説「復活一度説」の方がドラマチックだけど、ご都合主義度があがりすぎるので、A説の方が好き」となる。

 さて、そもそも、オイラは、最初読んだときは、A説で「最初は邪悪な竜司が復活して世界が滅んだんだけども、二度目はカオル君が乗り移ったから、世界は救われるんだね」と思っていた。で、「ループ」を読み返してたら、カオル君が、『ループ世界』の歴史を勉強しているシーンで、「山村貞子が復活し、安藤の息子が復活し、世界がガン化する」ことは書いてあっても「竜司が復活する」とは書いてないことに気付いた。

 こういう大事なことをうっかり書き漏らすとは思えないから、「竜司は復活しなかった」とは言わないけど「竜司が復活したとは言わない」ことで、読者をひっかけてるんではないか、と。つまり「ラストでカオル君が竜司として『ループ世界』に降臨する姿を、世界を滅ぼす悪魔だと思って見た安藤側から描写したものが「らせん」なんだけども、読者が「『らせん』って、滅んだ『ループ世界』の歴史なのね」と誤読するように誘導している」んじゃないかな、と。

 で、最後に読者の大半が「あ! カオル君が実は現世に出現した竜司なだけじゃなくて、「らせん」で復活した竜司って、カオル君だったのか!」と気づけば、この「誘導」は大正解だったわけなんだけども、オレを含めて、ある程度の割合の読者は「なるほど、二度目の復活の時はカオル君でやるのか」と納得してしまった、と。

 つまり作者(鈴木光司)は「B説:復活は一度説」のつもりで書いてるんだけども、読者の一部は、平気で「A説:復活は二度説」のつもりで読んでいて、言われるまで(言われても)気づかない、てのが現状なのではないか? と。

「B説:復活は一度説」に関しては、オイラが「最初の『ループ世界』の歴史の中で、竜司が復活したとは、どこにも書いてない」と思いこんでいるのが論拠の一つなので、小説「ループ」の中のどこかに「一度目の『ループ世界』の歴史でも竜司が復活していた」ことを示す記述があれば、その瞬間に「B説」は破綻してしまうのだった。

 と、いうわけで、気づいた人はオイラにメールしてくれ!

 また「B説:復活は一度説」の問題は、「らせん」のラストでの安藤医師と竜司の会話の台詞が、「ループ」のラストでの安藤医師と竜司(カオル)の会話の台詞と、若干違うこと。

 最初は、「A説:復活は二度説」で読んでいたので「あぁ、カオルは、一度調べたループ界の歴史での安藤と竜司との会話を再演しながら、少しずつ台詞を変えて、自分が徐々に最初のループの歴史から逸脱し始めたことを示したんだな」と思っていたのだけれども、ここの部分を「「らせん」の会話の台詞は一種の誤植あつかいでなかったことにして、「らせん」のラストは「ループ」のこの部分で上書きしてくれ」とかいう作者の発想があったり、あるいは「「らせん」は安藤を視点人物にして書かれているので、本当は「ループ」のような台詞だったのを「らせん」での台詞のように安藤は聴いてしまった」と解釈してみるとかで、対処できるのではないか、と。

 これも「ループ」を丁寧に読み返してみれば、復活後の竜司を演じるカオルの部分で「以前の歴史と違ううんぬん」とか書いてある可能性があるのだが(書いてあれば、A説ということになる)、オイラはまだ見つけてない。

 と、いうわけで、「ループ」を丁寧に読んで「『ループ世界』の最初の歴史でも、竜司は復活していた」証拠を発見して「A説:復活二度説」を証明するか、「竜司として『ループ世界』に降臨したカオルが「この世界では二度目になる竜司の復活だが」とか語っている場面」を発見して「A説:復活二度説」を証明するか、あるいは、作者、鈴木光司に質問するなりインタビウ記事から「作者はB説:復活は一度説だ」という証拠を得るか、しか、確かめる術はないのだった。

 とはいえ、カオルの『ループ世界』への降臨に際しては、エリオットが「暗号を送ってうんぬん」と書いてあったような気がするので、「らせん」の「竜司の腹から飛び出す新聞の暗号」とか「遺伝子のMUTATIONの暗号」なんかは、カオルの降臨をスムーズに進めるために、エリオットが再起動した『ループ世界』に介入した結果だ、と読めなくもない。(つまりB説)。

 SFM4月号のインタビウでも「どうして竜司が肉体をもって復活しなくちゃいけないのか?」という大森望の質問に「竜司が山村貞子と結託するのってどこなんだろう? 天国? というような疑問に答えるためには不可欠」というようなことを語っていたわけだから、あれは「竜司は謎の世界で山村貞子と結託して安藤に暗号送ってハメて、まんまと復活した」のではなくて「謎の世界で結託したように安藤に思わせておいて、本当は外の世界のカオルが『ループ世界』に降臨するための方便として復活した」と作者は思っているのではないか、と。

 それに、A説の復活二度説をとると、死の瞬間に「この世界は仮想世界である」と見破って、『ループ世界』の外に向かって「そっちの世界に出してくれ」と電話したはずの竜司は、外の世界のことは諦めたのか忘れたのか、ただただ『ループ世界』を滅亡させていた、ということになる。まぁ「いくところまでいけば、神様が出てくる」とか「らせん」の最後で言っているので、『ループ世界』を破滅させることで、外部の神が自分にアクセスしてくるかもしれない、と思った可能性もあるのではあるが。(そう考えればA説でもいいように思える)。

 どちらにせよ「ループ」という物語は、リングウイルスというループ・システムに介入できる謎の存在を想定して初めて可能になるわけだから、なんでもありといえば、なんでもありなのだが。ループ・システムの法則に介入して、死のビデオを作っただけではなくて、竜司の死の間際には、竜司が外の世界へ電話をかける手助けまでしているのだから、リングウイルス(と死のビデオ)は、『ループ世界』と外の世界を把握している、ということになるわけで、リングウイルスがそこまで賢いとなれば、はっきりいえば、エリオットの竜司合成計画なしでも外の世界にでられそうだから、なんでもありなんだけども。「リングウイルスはついにループ・システムから外部に出ることも可能になったのだ」ぐらいエリオットが言えば「はーそうですか」だし。

 実はA説のバリエーションとして「竜司の復活は二度あったのだが、「らせん」は二度目を描写している」とか「復活は二度あったのだが、「らせん」が一度目なのか二度目なのかは、判別不能」とか「カオルの作戦はことごとく失敗したので、エリオットはループを100回ぐらい再起動するはめになって、「らせん」はそのn回目のお話」とか、いろいろ考えられるのであるけれども。

「解釈の余地が残るのが、ミステリーの醍醐味」というのが知り合いの発言なので、別に、解答が出なくてもいいんだけども。オイラ的には、読み飛ばしを発見して「なんだA説で間違いないじゃないか」となるのが一番話が楽なのだが、どーも、作者はB説なんじゃないか、と思えて仕方がないのだった。


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